黒部ダム - オンラインパズル

黒部ダム

黒部ダム(くろべダム)は、富山県東部の中新川郡立山町を流れる黒部川水系の黒部川に建設された水力発電専用のダムである。1956年(昭和31年)着工、太田垣士郎指揮の下、171人の殉職者を出し7年の歳月をかけて、1961年1月に送電を開始 し、1963年(昭和38年)6月5日に完成した。貯水量2億トン。

北アルプスの立山連峰と後立山連峰に挟まれた黒部峡谷にある黒部ダムは、黒部川下流域の海に面する黒部市から直線距離で約40キロメートル南東に位置し、長野県大町市から直線距離で約20キロメートル西に位置する(県境から約3キロメートル西に位置する)。標高は1,454m。

黒部ダムの水は平均水温4度。ダム右岸の取水口から、山中に掘られた導水路(専用トンネル)を通って、約10キロメートル下流の地下に建設された黒部川第四発電所(黒四)に送られて、ダムとの545.5メートルの落差で発電する。この発電所の名称から黒四ダム(くろよんダム)とも呼ばれる。

富山県は北陸電力送配電の送配電地域であるが、黒部ダムは関西電力が建設し、発電された電気は関西電力送配電の送配電地域に送電されている。

黒部ダム建設の経緯は第二次世界大戦後の復興期に遡る。当時の関西地方は深刻な電力不足により、復興の遅れと慢性的な計画停電が続き、停電による多数の死亡事故などが深刻な社会問題となっていた。決定的な打開策として、関西電力は、大正時代から過酷な自然に阻まれ何度も失敗を繰り返した黒部峡谷での水力発電以外に選択肢を見出せず、当時、人が足を踏み入れること自体が困難で命がけだったその秘境の地でのダム建設案に、太田垣社長(当時)は「黒部しかない」「関西の消費電力を一気に賄える」「工期7年、遅れれば関西の電力は破綻する」と決断し、資本金の3倍(最終的に5倍)の総工費で臨んだ。完成当時、電力需要における京都府の80%と大阪府の20%(合計25万kW)を賄ったことでも知られ、東京に追いつくべく産業も重工業への転換がようやく可能になった。

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